メランコリーについて

メランコリーについて

うつ病の原点となる概念

古代の西洋からうつ病が存在している事は理解していただけた上で話を進めていくと、気になるのは当時うつ病はどのように見られていたのかということです。先ほど何気なく悪魔が憑いているなどと書きますが、あながち間違ってはいないでしょう。現在でこそキチンと、原因こそわからないにしても精神を病んでしまう病気の1つとして認定されています、そして古代期においてもある一定の、ヒポクラテスが提唱した四体液説において黒胆汁が多い人ほど現代のうつ病に近い症状を発症している可能性があると、具体的な症状についても唱えていたことを考えれば、歴史の闇に捨て置かれた原因としては原因を突き止められなかったがために、儀式的なものなどと絡めつけてごまかしてしまった方が早かったのかもしれません。

そんな古代期においてメランコリーと称されるうつ病についての歴史と、当時はどのような概念であると定義づけられていたのかを追ってみようと思います。

様々な分野で活用されていた

メランコリー、憂鬱は何も精神医学界で使われている専用の言葉ではなく、そのようとの範囲としては宗教だったり、哲学だったりと憂鬱と言う言葉一つで様々な利用手段が存在しているのです。その中でも興味深いこととしては、人間の罪を犯す感情であると考えられている『七つの大罪』がありますが、それ以前のエジプトでは七つの大罪が誕生する前に『八つの枢要罪』というものがあり、憂鬱はその中の一つに含まれている罪深い感情であると考えられていたのです。そう考えると憂鬱から派生して誕生した七つの大罪として考えられるのは『怠情』と考えられるのではないでしょうか。実際にキリスト教では憂鬱というメランコリー研究がされており、信仰を試されることとなる悪魔の誘惑と見られていたのです。

それだけ当時の敬虔な信者からすれば憂鬱な感情と思われる振る舞いをしている人を忌み嫌う対象としていた一方で、哲学という学問においては憂鬱という感情を持っている精神状態、そしてその状態を引き起こしている性格、もしくは身体的規定や存在論規定を指していると考えられています。今の時代と比べると異なる意味として用いられていた事は間違いありません、現代の精神医学と比べた際には双方の違いというのも理解できるのではないでしょうか。

では当時の精神医学としてはそのように憂鬱は考えられていたのかについてですが、元々は『メランコリア』という言葉で表現されていた憂鬱は精神的状態だけではなく、肉体的な状態も含めた総合的な状態のことを指している思われていたのです。またうつ状態と考えられる症状の原因としては外因性、内因性、心因性といった共通した原因別に分類することが可能とされており、躁うつ病も含めて診断の対象となっていました。同じ精神医学としての分類であっても、当時と現代では憂鬱状態から発展したうつ状態を分類する際には原因別に分けるのではなく、現れている症例別に操作して分類することが当時のうつ病を診察する基準となっていたのです。そう考えると今と昔では医師が患者に対する診断の結果と、それに対する処方なども異なっていると見た方がいいでしょう。それだけ時代の進歩によって研究が進んでいるということなのかもしれません。

宗教的な側面でのメランコリア

精神医学、つまり医学としての側面では上述のように考えられていた事は間違いありません、ですがそれらの考えが当時の社会システムや状況などを考えると、少数派の意見として片付けられてしまっている、ひいてはそんなことあるわけがないと否定する意見が多く存在しています。何故そのように見なされてしまうのか、その原因こそ宗教的な面が大きく作用しているからなのです。

ほとんどの古代ギリシア・ローマに関係する文献では否定的な内容が多いと言われています、中には肯定的な意見で綴られているものもありますが、決して医学的な面に即した内容ではなくあくまで宗教的な考え方で、どうしたらそのような症状を抱えたものが誕生するのかということを述べているのです。誕生したうつ病患者のことを『聖なる狂気(マニア)』として褒め称えているかのような、そんな言葉があるというのです。聖なるものなのに狂気に満ちているとは、何とも滑稽なことでしょうか。そんな聖なる狂気となる人の特徴、また出現する条件などとも考えられているのです。その代表的な天才と称される人々の職業は主に哲学者・政治家・詩人・芸術家など偉大な人物が症状を発症している、そう記述されています。一時期はうつ病を発症している患者が天才と称されており、この考え方は18世紀後半から19世紀における天才の観念に影響を及ぼしているとも言われています。

これはあくまで一つのうつ病に対する考え方となっています、これ以外にもうつ病を題材にしたメランコリアが存在していますが、それは主に文学や芸術といった作品へとは聖して行くことになります。特に17世紀初頭におけるイングランドではメランコリアを崇拝している文化的・文学的な現象が起きているというのです。何が起きているのでしょうと考察してみると、その原因は当時の王様でもあるヘンリー8世の時に行われたある改革によってメランコリアは急速に芸術方面へと派生することとなります。当時はちょうどイングランドにおいて宗教改革が行われていた時代とあって、その折に引き起こされた宗教的な不確定性と罪・破滅・救済などの問題への関心が高まったこと、これがメランコリアという憂鬱を題材にした作品が多く取り扱われるようになったのです。その中には自画像などは有名の『フィンセント・ファン・ゴッホ』が憂鬱を題材にした作品として『悲しむ老人』を作成するなど、当時うつ病とまだ明確に病気であると証明されていなかった時代において、当時からうつ病は存在していたことをこの作品では証明しているのです。

フロイトが定義したメランコリーの定義

宗教的、そして芸術的な面で当時人々を悩ましていた憂鬱であるメランコリーに対して、心理学者として知られているジークムント・フロイトはメランコリーに対して次のように述べています。

苦痛にみちた深い不機嫌さ・外界にたいする関心の放棄、愛する能力の喪失、あらゆる行動の制止と、自責や自嘲の形をとる自我感情の低下、妄想的に処罰を期待するほどになるなどと、特色としている。

また、こうも述べています。

メランコリーの場合、愛するものを失った悲しみは悲哀と確かに共通しているところはあるが、愛するものが具体的なものではなく観念的なものであること、対象を失った愛は自己愛に対抗してしまい、失った対象と自我を同一化が進行し、その過程で出会いは憎しみに変わってしまい、失った対象、及びこれと同一化された自我に対する憎しみが高まってしまうことで自責や自嘲が起こるととも述べています。その状態に陥ってしまうと人が自殺する道を選択してしまい、自らの命を絶ってしまうのだと述べています。

フロイトのこうした考え方は非常に鋭く、そしてうつ病が招くことになる結末を的確に導き出しているといっていいでしょう。この考え方について現代的に見てもうつ病が進行することで自殺という選択肢を選んでしまう傾向が強いと言われています、20世紀初頭にはこうした答えに行き着いているあたり、いかにフロイトという心理学者が優れた人物であったかを理解出来ると思います。この頃はまだそこまで社会的な面で大きな影響を及ぼすような事はありませんでしたが、いずれこの考え方に即して現在のうつ病に対する研究への礎となっていくのです。

現代の生活習慣病である、うつ病について考えてみる

現代の生活習慣病である、うつ病について考えてみる